夏休み明けの生活習慣を親子で見直す。宿題と一行日記に残った変化
夏休みには、学校の準備がなくなり、毎日のクエストも変わりました。それでも宿題は予定どおりに終わり、一行日記が残っています。休み中にできたことを見ながら、新学期の生活を作り直そうと考えた話です。
目次 · 4項目
夏休みが終わって、ふと日常を見回すと、夏休み前までやっていたことが、かなり変わっていた。
学校に行く日の「明日の準備」はなくなっていたし、普段のクエスト(子どものタスク)の中には、夏休みの間はやらなくなったものもあった。最初は、それを見て「せっかく身についていた習慣が、夏休みで崩れてしまった」と思うこともあった。
でも、振り返ってみると、そうじゃないなと感じた。
習慣が崩れるっていうか、別のステージに立つっていう方が正確だった。
夏休みの生活習慣は、学校がある日のクエストと分けた
夏休みは、学校がない。生活のリズムも全部変わる。宿題も、通常の日々のものから「夏休みの宿題」という大きな特別枠に変わる。しかもそれが1か月以上続く。
だから、普段のクエスト(子どものタスク)をそのまま全部持ち込むことはできなかったし、持ち込む必要もなかった。
わが家では、親子で話し合って、夏休みの取り組みを調整した。
学校がないから、「明日の準備」は自然になくなった。読書は、夏休みの宿題との負担を考えて、話し合って削った。一方で、習い事の練習など、夏休みに関係なく普段の生活の中に常にあるものは残した。
全部を維持することを目標にしなくてもよかった。 夏休みという生活に合わせて、やることの中身を組み替えた。それが、わが家の夏休みだった。
夏休みの宿題が、親子で決めた予定どおりに終わった
毎年、夏休みの宿題は最後まで残りがちだった。家族でバタバタしながら終わらせる、という状態が当たり前になっていた。
ところが今年は、予定どおりに進んで、最後には何日か余裕を残して終えることができた。途中で遊ぶ時間も取りながら進められた。本人も私も、強い苦労を感じることなく、宿題を終わらせられた。
なぜかと考えたとき、ひとつのことが見えてきた。
普段のクエストそのものは一部できなくなっても、そこで育ててきた力は残っていた。
昨年12月頃から、わが家では「みらいスケッチ」として日々のクエスト(子どものタスク)に取り組んできた。その中で、毎日何かに取り組む力、計画を立てる力、少しずつ進める力が、少しずつ育っていたんだと思う。
その力が、夏休みという別の環境になったときに、「夏休みの宿題を計画的に終わらせる」という別の形で表れた。みらいスケッチのアプリなどの仕組みを使っていたことはもちろん助けになった。だけど、あくまでも中心にあるのは、本人自身が日々の取り組みを通して力をつけてきたことだと感じている。
一行日記に残った、夏休みの積み重ね
今回、私が特に大きいと感じたのが、夏休みの一行日記だった。
毎日必ずその日に書けたわけではなく、2日分ほどをまとめて書いたこともあったが、それでも、抜けたままにはせず、約40日分を一日分も欠かさず、最後まで書き切った。
しかも、後から想像で埋めたのではない。その日に実際に経験したことを思い出して書いていた。
これは、やっぱり、毎日やり続ける力の最たるものだと思った。
毎日の習慣で覚えた計画を、夏休みの宿題にも使えた
夏休みに入って、普段の読書をやめたからといって、これまでの取り組みが無意味になったわけではない。
むしろ、普段の習慣を通して育った「毎日やる」「計画する」「少しずつ進める」という力が残っていて、その力が別の課題に転用された。これは、みらいスケッチを続けてきたことによる、大きな成果の一つだと感じている。
「全部続ける」が正解ではない。 環境が変われば、そこで必要な行動が変わるのは当然だ。大切なのは、親が一方的に「今までやっていたんだから全部やりなさい」とすることではなく、子どもと話し合いながら、今の生活に合わせて調整していくことだと思う。
夏休み明けは、新学期に合う生活習慣を作り直す
夏休みが終わって、また学校生活という次のステージが始まる。
もしこの時期を、「せっかくできるようになっていたことが、またできなくなった」と落胆する時間だと捉えると、もどかしくなるかもしれない。でも、夏休みは生活そのものが変わる特別な期間だった。それまでと違う行動になったことは、自然なことだ。
重要なのは、夏休み前とまったく同じ行動を維持できたかではなく、その子の中にどんな力が残っているかを見ることだ。
わが家にとって、夏休みは「習慣が崩れた期間」ではなく、「普段とは別のステージ」だった。そして今は、また新しいステージに入った。
だから、夏休み前の状態へ無理やり戻すのではなく、今の生活に合わせて、もう一度習慣を組み立て直すタイミングだと思っている。